昭和から平成へと元号が変わる前後、リクルート事件や東京佐川急便事件によって自民党に対する国民の不信は頂点に達していました。このとき、党内長老として政治改革の旗振りを担ったのが後藤田氏です。
金権政治の温床となっていた中選挙区制を打破し、政策本位の政党対決を実現させるため、小選挙区比例代表並立制の導入に奔走。細川護熙連立政権下での政治改革関連法案の成立に至るまで、舞台裏で強い影響力を行使し続けました。
田中派の出身でありながら、金権政治の弊害を誰よりも骨身にしみて理解していた後藤田氏は、「政治家自らが身を切る改革を行わなければ、日本の民主主義は死ぬ」という危機感を抱いていました。選挙制度の変更は後に賛否両論を呼ぶことになりますが、腐敗を断ち切るために自派閥の利害すら超越して動いた姿勢は、リアリストとしての矜持を如実に示しています。