早稲田大学を卒業後、岩波映画製作所を経て1964年に開局したばかりの東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ入社した田原総一朗。当時の東京12チャンネルは経営難に喘ぐ弱小局だったが、それゆえに現場には「何をやってもいい」という異常な熱気が渦巻いていた。田原はその治外法権とも言える環境を最大限に利用し、放送業界の常識を覆す過激な番組制作へと突き進む。
彼の手掛けた作品群は、どれもが時代のタブーをえぐるものばかりだった。学生運動に身を投じる全共闘の若者たちの内面に肉薄し、自衛隊の内情や原子力発電所の安全神話に切り込むなど、当時の大手キー局が尻込みするテーマを次々と映像化。取材対象者の生活に徹底的に入り込み、台本なしの生々しい人間ドラマを白日の下に晒した。
ときには被写体の感情を極限まで煽り、予期せぬ衝突を引き起こす田原の手法は、社内外で激しい物議を醸した。しかし、作られた予定調和を破壊し、被写体の「剥き出しの本音」を引きずり出すスタイルは、のちのドキュメンタリー手法に決定的な影響を与えることとなった。