狂騒のブームから7年――「タピオカ ランド」の夢と現実、そして平成・令和のヒット消費が残した爪痕

狂騒のブームから7年――「タピオカ ランド」の夢と現実、そして平成・令和のヒット消費が残した爪痕

タピオカ ランドという奇妙で鮮烈なテーマパークが原宿に姿を現してから、すでに7年の歳月が流れた。2019年の夏、連日長蛇の列を作り、SNSを色鮮やかなストローと黒い粒の写真で埋め尽くしたあの熱狂を覚えているだろうか。わずか1ヶ月余りの期間限定イベントでありながら、巨大なプールに敷き詰められた黄色いボールやインスタ映え専用のフォトスポットは当時のZ世代を狂喜させ、同時に「中身がない」「入場料が高すぎる」という苛烈な批判の矢面にも立たされた。あの狂騒劇は、日本のポップカルチャー史において一体何だったのか。

当時の若者文化を象徴する出来事として語り継がれるタピオカ ランドだが、その背景にあったのは単なる珍しい食べ物の流行ではない。スマートフォン画面の向こう側に広がる「映え」という承認欲求の波が、リアルな体験型空間と交差した瞬間に生まれた異形のアトラクションだったのだ。カップを手にした自撮り写真一枚のために数時間並ぶ人々。ブームのピーク時に誕生したその場所は、消費社会の儚さとSNS経済の恐ろしさを同時に見せつける実験場でもあった。

「映え」のためだけに作られた空間――狂騒の2019年夏

2019年8月、原宿駅前の商業施設内にオープンした空間は、開幕前からネット上で異例の注目を集めていた。当時、街中にはタピオカドリンクの専門店が乱立し、黒い粒を求めて行列を作る若者の姿は日常の風景となっていた。しかし、この施設が提示したコンセプトは、ドリンクを飲むことではなく「タピオカの空間に浸る」ことだった。

会場内に足を踏み入れると、そこにあったのは巨大なボールプールや、ネオンサインで彩られた撮影用ブースの数々。飲み物の味や品質よりも、レンズ越しにどう見えるかが全てだった。来場者はカメラを向け、ポーズを決め、即座にSNSへ投稿する。ドリンクを提供する場というよりは、デジタル空間上のタイムラインを飾るための「背景セット」として機能していたのだ。

「中身がない」批判の裏にあった体験型消費の歪み

オープン直後から、ネット上には称賛と同時に強い失望の声が渦巻いた。「入場料1500円に対して展示がショボい」「タピオカの歴史や文化を伝える展示が皆無」「ただの撮影スタジオではないか」といった厳しい批評が相次いだのだ。SNSで拡散された会場の写真に対し、期待値を上げすぎたファンからの落胆は大きかった。

だが、この批判こそが当時の消費行動の本質を突いていた。体験そのものの深みやストーリー性ではなく、表面的な視覚情報だけを切り取ってパッケージ化する手法。その極端な例がここにあった。本物らしさ(オーセンティシティ)を欠いたポップアップイベントは、一時的な話題性こそ獲得できたものの、来訪者に持続的な感動を残すことは難しかったのだ。

渡辺 美咲
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渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。