なぜ「目」から入って「鼻」へ抜けるという奇妙なルートが、利発さの象徴となったのでしょうか。国語学者や民俗学者の文献調査において、語源として取り上げられる説は大きく3つに集約されます。
最も広く知られているのが、「京都の大仏造立にまつわる名工の脱出伝説」です。江戸時代、京都・方広寺の大仏(または東大寺大仏の修復時とも伝承される)を鋳造・建造した際、大仏の胎内作業を終えた大工が、出口がすべて塞がれて閉じ込められてしまいました。その際、機転を利かせた名工が、大仏の目の穴から入り込み、鼻の穴からロープを使って身軽に脱出して見せたという逸話です。この驚くべき機転と身のこなしから、「目から鼻に抜けるような素早い知恵」の代名詞になったと語り継がれています。
もう一つの有力な説は、身体構造に根ざした感覚的比喩です。目と鼻は顔面においてごく近い距離に位置し、解剖学的にも「鼻涙管(びるいかん)」という微細な管で直結しています。目に入った刺激や涙が瞬時に鼻へと伝わるように、「刺激に対する脳の反応や判断のスピードが極めて素早いこと」を、身体の近接性を用いて誇張表現したという解釈です。
さらに、近世の上方語や狂言などの古典芸能において、「目から鼻へ抜ける」は商人の如才なさや商魂の逞しさを描写する定型句としても機能していました。敏捷で小回りが利き、どこからでもすり抜けて利益を逃さない商人気質が、この独特の表現を研ぎ澄ませていった背景が伺えます。