連合赤軍が群馬県の山岳地帯に設営したアジト(山岳ベース)で起きた山岳ベース事件は、日本犯罪史上でも類を見ない集団リンチ殺人です。1971年末から1972年初頭にかけて、厳冬の山中で「共産主義化」や「自己批判」を名目とした「総括(そうかつ)」が強要され、仲間であるはずのメンバー12名が凄惨な暴行を受けて命を落としました。
この総括の真相は、組織の統率を保つための理不尽なイデオロギーの押し付けと、指導部による疑心暗鬼の産物でした。特に永田洋子と赤軍派トップの森恒夫の2人が主導権を握り、些細な言動や規律違反を理由に暴力を正当化。殴打や極寒の屋外への放置、絶食などの拷問が繰り返されました。
永田の性格面については、裁判や関係者の証言で「極度に嫉妬深く、自尊心と劣等感が入り混じったヒステリックな気質」が指摘されています。自身が持病の甲状腺疾患(バセドウ病)による容姿のコンプレックスを抱えていたこともあり、女性メンバーへの化粧や恋愛感情に対する異常なまでの攻撃性となって表れ、妊婦を含む仲間を残虐に死へと追いやる一因となりました。