現場の熱血教師として名を馳せた男を、国家の最高意思決定機関の近くへと引き寄せたのは政治の力だった。小泉政権末期から第1次安倍内閣発足の時期にかけ、政府が打ち出した教育再生会議の担当室有識者メンバーとして抜擢されたことが、彼の人生を決定的に変える。官僚主導の型にはまった教育理論に異を唱え、現場の叫びを直言する姿勢は、自由民主党の改革派議員たちの間で強い共感を呼んだ。
安倍晋三氏との深い師弟関係のような絆は、ここから強固なものとなっていく。「教育の再生なくして日本の再生なし」という共通の強い危機感が、彼を参議院選挙、そして衆議院へと押し出していく。自民党内においても、いわゆる「タレント候補」に対する冷ややかな視線を、泥臭いドブ板選挙と圧倒的な弁舌で跳ね返していった過程は、永田町の政局における語り草となっている。