百舌鳥の地を象徴する造形といえば、円形と四角形が融合した「前方後円墳」である。この独特の形状は、単なる意匠の面白さを超えた政治的なシンボリズムを宿している。四角い「前方部」で祭祀を執り行い、円形の「後円部」に王の遺骸を安置する。この構造は、畿内を中心とする政治同盟の証として日本列島各地へ広まった。
堺市の土地に並び立つ大中小さまざまな古墳は、当時の階層社会を克明に映し出す。土を積み上げ、石を並べ、数百万個におよぶ埴輪を配置する作業には、膨大な労働力と緻密な測量技術が必要だった。現代の土木工学で試算しても、巨大古墳の建設には数千人の作業員が数年以上携わった計算になる。海上を通る渡来人や他地域の首長に対し、王権の圧倒的な国力を提示するランドマークとして、この地が選ばれたのだ。