ドイツの強硬な3B政策と海軍拡張は、国際秩序に地殻変動をもたらしました。長年「光栄ある孤立」を誇っていたイギリスは方針を大転換し、かつての対立国と次々に手を結び始めます。
イギリスは1904年に英仏協商を結んでアフリカでの利害を調整し、さらに1907年には中央アジアで覇権を争っていたロシアと英露協商を締結しました。これにより、フランス・ロシア・イギリスによる「三国協商」が完成したのです。
対するドイツは、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリアとの「三国同盟」で対抗しました(のちにイタリアは離脱)。バルカン半島をめぐり、パン・スラヴ主義を掲げるロシアと、パン・ゲルマン主義を掲げるオーストリア・ドイツが対立を深め、同地域は「ヨーロッパの火薬庫」と化していきます。
3B政策は単なる鉄道敷設プロジェクトにとどまらず、列強同士を2つの軍事陣営へと二極化させ、1914年のサラエボ事件を契機とした第一次世界大戦の勃発へと導く決定打となりました。