昭和から平成初期にかけて若者文化の中心地として栄華を誇った親不孝通りですが、1990年代後半に入ると予備校の移転や閉校が相次ぎ、街の構造が大きく変わり始めました。代わって急増したのが深夜営業の大型クラブやバーであり、夜間における若者のトラブルや治安悪化が地域課題として浮上したのです。
事態を重く見た地元商店街や振興会は、イメージ刷新と治安回復を掲げ、2000年に「親富孝通り(親に富み、孝行する)」へと正式改名を実施しました。街路樹の整備や防犯パトロールと連動したこの試みは、メディアでも大きく報じられました。
しかし、表記を変えても長年培われたカルチャーの記憶は容易に消えません。地元住民や若者、観光客の間では依然として「親不孝通り」の呼称が使われ続け、公式な表記と世間の認識にギャップが生じる結果となりました。さらに、街の代名詞であった強烈な個性が薄れることを惜しむ声も根強く残りました。
転機が訪れたのは改名から17年が経過した2017年のことです。地元協議会や商店街関係者は「歴史ある独自の文化を受け入れ、あえて元の名に戻すことで街の誇りと活気を取り戻そう」と決断。行政への働きかけを経て、道路の愛称は再び正式に「親不孝通り」へと復活を果たしました。ネガティブな響きを逆手に取り、独自の歴史遺産として昇華させたこの復活劇は、全国の商店街再生モデルとしても大きな話題を集めました。