千玄室大宗匠の生涯を語る上で避けて通れないのが、太平洋戦争末期の壮絶な特攻隊の記憶です。同志社大学在学中に学徒出陣となり、海軍航空隊(第14期海軍飛行科予備学生)へ志願。過酷な訓練を経て、徳島海軍航空隊などで旧式練習機を改造した特攻機「白菊」の搭乗員として編成されました。
自著の手記やドキュメンタリー番組のインタビューにおいて、大宗匠は当時の極限状態を生々しく述懐しています。出撃を翌日に控えた隊舎で、大宗匠は教官に懇願して手に入れた茶筅(ちゃせん)と茶碗を用い、粗末な茶葉を点てて同期の戦友たちに振る舞いました。死を目前にした若者たちが「おいしいな、これで心置きなく行ける」「お前の点ててくれた茶を飲めてよかった」と涙を浮かべながら飲み干した光景は、大宗匠の脳裏に生涯焼き付くことになります。
迎えた出撃当日、大宗匠の搭乗順は後続部隊に割り振られており、先発した仲間たちが次々と南方へと飛び立ち、帰らぬ人となりました。その後、整備不良や戦局の急変など奇跡的な命運が重なり、出撃直前に終戦を迎えることとなります。この「自分だけが生き残ってしまった」という激しい苦悶とサバイバーズ・ギルト(生き残り罪悪感)こそが、大宗匠のその後の人生を決定づけました。
「散っていった友の分まで生き、彼らの命を無駄にしないために、茶の心で世界から戦争をなくす」という誓いこそが、裏千家のスローガンである「一碗からピースフルネスを(Peacefulness through a bowl of tea)」という世界平和運動の揺るぎない原点です。