成田山周辺にうなぎ屋が密集する理由を単なる「観光地グルメ」で片付けることはできません。その根底には、地理的環境と江戸時代の信仰文化という二大要素が存在します。
まず地理的要因として挙げられるのが、成田のすぐ西側に広がる印旛沼(いんばぬま)および北側を流れる利根川水系の存在です。かつての印旛沼は天然うなぎや川魚の宝庫であり、地元住民にとって貴重なタンパク源でした。農村地帯であったこの地域では、獲れたての川魚を素朴に焼き上げる川魚食文化が古くから根付いていたのです。
そこに決定的な転換点をもたらしたのが、江戸中期に爆発的なブームとなった「成田詣(なりたもうで)」でした。当時、江戸日本橋から成田山新勝寺までは片道約66キロメートル。徒歩でおよそ2泊3日を要する過酷な旅路でした。参拝客にとって、長い距離を歩き抜いてたどり着いた門前町で食す滋養強壮の源こそが、栄養価の高いうなぎ料理だったのです。
さらに、歌舞伎役者の初代市川團十郎が成田山に祈願して子宝を授かったことから、成田山と市川家(屋号:成田屋)の強い絆が生まれました。團十郎が舞台で成田不動の威光を演じるたびに江戸っ子の参詣熱は高まり、門前町の旅館や飲食店はこぞって参拝客をもてなすためにうなぎ料理の腕を競い合いました。こうして成田山新勝寺門前グルメの筆頭としてうなぎが不動の地位を築き、現代へと受け継がれています。