結成当初のコンビ名は「華丸・大吉」ではなく、「岡ザキ&ハカタ」や「博多華丸・大吉」と変遷を辿ってきた。大学時代のサークル仲間として出会った当初、大吉は落語研究会のような活動を想像していたが、華丸の強烈な勧誘と熱量に押し切られる形でコンビを結成したという逸話が残っている。
福岡吉本では一躍スターとなり、レギュラー番組を多数抱える看板タレントとして君臨。しかし、彼らは現状に甘んじることなく、30代半ばにして拠点を東京へと移す過酷な決断を下した。地方で築いた地位を捨て、ゼロから東京の劇場やオーディションに挑んだハングリー精神こそが、現在の成功の土台となっている。