同じ料理でありながら、なぜ時代によって「支那そば」「中華そば」「ラーメン」と呼び名が変化していったのか。その背景には、激動の近現代史とメディア・食品産業の発展があります。
1. 明治〜大正期:「支那そば」「南京そば」の誕生
日本におけるラーメンの黎明期は、1859年の開港以降、横浜や神戸の外国人居留地に開かれた中華街から始まります。当時は中国に由来する麺料理として「南京そば」や「支那そば」と呼ばれていました。1910年(明治43年)、東京・浅草に日本人経営者による本格的な店舗「来々軒」が開業。広東料理の技法を取り入れながら、日本人好みの醤油味スープに仕立てた一杯が大ヒットし、全国に「支那そば」の文化が広がりました。
2. 戦後〜昭和中期:外務省通達と「中華そば」の定着
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、外務省から「支那」という呼称の使用を自粛するよう通達が出されました。これを受け、新聞などの報道各社や飲食店街は一斉に表記を改め、従来の支那そばに代わって「中華そば」という呼び名が急速に定着していきました。戦後日本の復興期を支えた闇市や屋台で提供されたのは、日本蕎麦(和そば)と明確に区別された「中華風の蕎麦」でした。
3. 1958年以降:即席麺の発明と「ラーメン」の全国爆発
「ラーメン」という呼称が国民的共通語になった最大の契機は、1958年(昭和33年)における日清食品「チキンラーメン」の発売です。創業者・安藤百福氏が開発した世界初の即席麺が爆発的な普及を遂げ、テレビCMの浸透とともに「ラーメン」という言葉が家庭内へ一気に刷り込まれました。さらに1960年代後半には「サッポロ一番」などのヒットや、札幌味噌ラーメンの全国的ブームが後押しし、昭和後期には「ラーメン」がスタンダードな総称の地位を確立しました。