太宰治はなぜ志賀直哉を痛烈批判したのか?『如是我聞』と確執の真相

太宰治はなぜ志賀直哉を痛烈批判したのか?『如是我聞』と確執の真相

太宰治はなぜ志賀直哉を痛烈批判したのか?『如是我聞』と確執の真相についての疑問解決ガイドを徹底解説します。

太宰治の文壇権威に対する遺恨は、志賀直哉だけに向けられたものではありませんでした。かつて第1回芥川賞の選考において、川端康成から「私生活に不健全な暗雲がある」と評されて落選した際にも、太宰は『川端康成へ』と題した公開書簡で激しい恨み節を叩きつけています。

太宰にとって、芥川龍之介の威光を傘に着た文壇の重鎮たち——川端康成や志賀直哉といった作家たちは、常に自分の行く手を阻み、見下してくる巨大な壁でした。志賀直哉自身は芥川賞の選考委員を務めていたわけではありませんでしたが、文壇における「絶対権威の象徴」として君臨していたため、太宰の積年のルサンチマンが一気に志賀へと集中したという背景があります。

一方の志賀直哉は、太宰の激昂に対してもどこ吹く風でした。志賀にとって文学とは「嘘偽りのない自己の反映」であり、太宰のように過剰な演出や自己劇化を交えて読者の同情を引く手法は、生理的に受け入れがたいものだったのです。

松本 悠斗
Author

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。