南アフリカ戦争で浮き彫りになった軍事力の限界に加え、もうひとつの決定的な脅威が浮上していました。皇帝ヴィルヘルム2世率いるドイツ帝国の世界政策(Weltpolitik)と急速な海軍拡張です。さらに極東や中央アジアでは、ロシア帝国が南下政策を強烈に推し進めていました。
自国の海軍力だけで世界中の海と植民地を防衛することが物理的に不可能となったイギリスは、ついに伝統の不干渉方針を放棄する決断を下します。その歴史的転換の舞台となったのが極東でした。
1902年、イギリスはアジアの新興近代国家であった日本と日英同盟を締結。ヨーロッパ列強とではなく、極東の日本と平時同盟を結ぶことでロシアの東アジア進出を封じ込め、自国海軍の主力を本国周辺および地中海へ集中させる防衛網の再編を図ったのです。
この電撃的な方針転換を皮切りに、イギリスは1904年に積年の宿敵であったフランスと英仏協商を結び、1907年にはロシアとの間でも英露協商を締結。かつて自ら距離を置いていたヨーロッパの大国間同盟網へと自ら深く身を投じていき、「栄光ある孤立」は完全に終焉を迎えました。