昭和30年代初頭の日本音楽界は、ロカビリーブームの狂騒と従来の正統派歌謡曲がせめぎ合う転換期にありました。その只中にあって、ビクターレコードの専属作曲家として『お富さん』や『上海帰りのリル』など数々の国民的ヒットを世に送り出していた渡久地政信(とくち まさのぶ)は、次代を担う新しい歌い手を探し求めていました。
そこで見出されたのが、ジャズ喫茶のオーディションで類まれな透明感と憂いを含んだ美声を響かせていた少年、松島アキラ(本名:松島昭)でした。当時、新進気鋭の作詞家であった宮川哲夫が紡ぎ出したのは、湖畔に一人佇み失われた愛や青春の痛みに思いを馳せる、極めて文学的で内省的な詞世界でした。
当時の制作関係者の回想録によると、渡久地政信は17歳の松島アキラに対し、過度な技巧や大人の艶っぽさを排除し、「少年の胸にある剥き出しの孤独」をストレートに表現するよう指導したと伝えられています。哀切を帯びた短調のメロディと、どこか震えるようなハスキー混じりの高音が見事に合致した瞬間、昭和歌謡史に刻まれる奇跡のナンバー『湖愁』が産声を上げました。