耳切り事件を経てアルルの住民から追放嘆願書を出されたゴッホは、自らサン=レミの精神療養院へ入院し、その後パリ近郊の農村オーヴェル=シュル=オワーズへ居を移しました。しかし1890年7月27日、麦畑へ出かけたゴッホは銃創を負って宿に戻り、2日後の7月29日に37年の短い生涯を閉じます。
通説では「麦畑でのピストル自殺」とされてきましたが、2011年に米国の研究者スティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスが提唱したゴッホ他殺説と自殺の真相に関する議論は、美術界に大きな波紋を呼びました。地元の少年グループによる偶発的な誤射事故であり、ゴッホは少年たちを庇うために「自分で撃った」と主張したという仮説です。
現在も多くの学説は弟への負担軽減を意図した自殺説を支持していますが、事件に使われたとされる拳銃の入手経路や遺留品の欠如など謎は尽きません。耳切り事件から最期の銃創に至るまで、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯は常に激しい情念と謎に包まれており、だからこそ現代を生きる私たちの心を揺さぶり続けています。