京都の伝統料理「いもぼう」の起源は、江戸時代の元禄から享保年間(1700年代初頭)にまで遡ります。創始者は、青蓮院宮(東伏見宮家の祖先)に仕えていた平野権太夫です。当時、宮が九州の長崎から持ち帰った「唐芋」の種芋を、権太夫が京都・円山の肥沃な土壌で栽培したところ、縞模様があり海老のように湾曲した極上の里芋が実りました。これが名高い京野菜「海老芋(えびいも)」の始まりとされています。
一方、当時北海道(蝦夷地)から北前船で運ばれてきた「真鱈の干物(棒鱈)」は、カチカチに乾燥した保存食であり、戻して炊くだけでも並大抵ではない手間を要する食材でした。権太夫はある日、この海老芋と棒鱈を一つの鍋でじっくりと炊き合わせる工夫を凝らしました。すると、棒鱈から溶け出た良質なゼラチン質(コラーゲン)が海老芋を包み込んで煮崩れを防ぎ、逆に海老芋に含まれるカリウムや特有の灰分が棒鱈の硬い繊維を柔らかくほぐすという、驚くべき相互作用が起きたのです。
青蓮院宮はこの炊き合わせを「吉野山(桜の名所)の桜と紅葉を一つに合わせたような絶品」と絶賛し、芋と棒鱈の頭文字を取って「いもぼう」と命名したと伝えられています。宮中や文人墨客の間でたちまち評判となり、やがて祇園社(現在の八坂神社)や知恩院の門前名物として広く親しまれるようになりました。