1917年(大正6年)、新派の名女形・山田九州男と芸妓・一子の長女として大阪に生まれた山田五十鈴は、幼少期から日本舞踊や清元節の英才教育を受けて育ちました。1930年、13歳で日活に入社して銀幕デビューを飾ると、その若い頃の圧倒的な美人ぶりと、すでに備わっていた天性の気品で瞬く間にトップアイドルの座へと駆け上がります。
彼女の名を映画史に決定づけたのが、リアリズムの巨匠・溝口健二監督との出会いでした。1936年の名作『祇園の姉妹』および『浪華悲歌』において、山田五十鈴は因習に縛られる花街の女性の哀愁と反骨精神を凄まじいリアリティで演じ切り、日本映画界のトップ女優としての地位を不動のものにしました。自著や当時の関係者の回想録によると、溝口監督の徹底した妥協なき演技指導に対し、10代後半の山田五十鈴は一歩も引かずに挑み続け、役柄の芯にある情念を見事に肉体化させたと伝えられています。
さらに世界的な評価を決定づけたのが、黒澤明監督による1957年の傑作『蜘蛛巣城』です。シェイクスピアの『マクベス』を戦国時代に翻案した同作で、山田五十鈴はマクベス夫人にあたる「浅茅」を演じました。能楽の「悪尉」や「深井」の面を思わせる無表情の奥に渦巻く冷酷な狂気、床をすり足で進む着物の衣擦れの音だけで観客を恐怖に陥れる演技は、後年の映画批評でも「世界映画史における女性悪役の最高峰」と絶賛されています。黒澤監督自身も「彼女の身体の動き、声のトーン、そのすべてが完璧な芸術品だった」と手放しで称賛したほどでした。