昭和のプロレス界において徹底して秘匿されていたマッハ隼人の正体ですが、専門誌の取材記録や当時の関係者による証言から、本名は肥後繁久(ひご・しげひさ)氏であることが判明しています。鹿児島県出身で、幼少期から剛柔流空手をはじめとする武道に打ち込み、強靭な体幹と鋭利な蹴り技を身につけていました。
当時の日本プロレス界は「身長180cm以上、体重100kg以上」が暗黙の絶対基準であり、大型ヘビー級選手中心の時代でした。小柄な体躯であった肥後氏は日本国内での正規入門の壁に直面したものの、プロレスへの情熱を捨てることなく、活路を求めて単身メキシコへ渡航する決断を下しました。この不屈の精神こそが、後に「マッハ隼人」という唯一無二のキャラクターを生み出す原点となりました。
ネット上やファンの間で度々話題にのぼる「素顔の画像は存在するのか」という疑問について、現役当時はプロレス界の鉄の掟であったギミック保護(ケイフェイ)が極めて厳格に守られていたため、公式な素顔写真がメディアに掲載されたことはありませんでした。しかし、後年に刊行されたプロレス歴史検証誌『Gスピリッツ』の特集や関係者の回顧録において、メキシコ渡航前の青年期の姿や、現地でのトレーニング風景を捉えた貴重なスナップ写真が紹介された事例があります。その風貌は、精悍な目元と引き締まった顎のラインが印象的な、武道家然とした正統派の男前であったと伝えられています。