歴史の教科書では大きく扱われる機会が少ないものの、江戸時代には2名の女性天皇が存在しました。その一人であり、日本史上最後の女性天皇となったのが第117代・後桜町天皇(幼名:智子内親王)です。
後桜町天皇が即位したのは宝暦12年(1762年)、23歳のときでした。即位の直接の引き金となったのは、実弟である第116代・桃園天皇の急逝です。桃園天皇はわずか22歳の若さで崩御し、遺された皇子である英仁親王(後の後桃園天皇)は当時わずか5歳の幼児でした。
当時の朝廷および徳川幕府(第10代将軍・徳川家治の治世)は、幼年君主の即位による政治的混乱や儀礼運営の停滞を強く危惧しました。そこで浮上したのが、英仁親王の叔母にあたる智子内親王を一時的に皇位に就け、甥がしかるべき年齢に達するまで皇統を守るという「中継ぎ」の選択肢です。宮廷記録『後桜町院御記』などの一次史料を精査すると、当時の関白・近衛内前ら朝廷首脳陣が慎重に根回しを進め、幕府側もこれを正当な措置として承認した経緯が記録されています。
後桜町天皇の即位理由は、まさに「幼少の後継者が無事に成人するまでの防波堤」となることでした。在位は約9年に及び、英仁親王が13歳となった明和7年(1770年)に皇位を譲位(後桃園天皇が即位)。自らは太上天皇(上皇)となり、院政的な後見役として朝廷を支え続けました。