山県隊の代名詞といえば、甲冑や旗指物を深紅で統一した「赤備え」です。元々は兄・飯富虎昌が率いていた部隊カラーを昌景が継承し、軍規の徹底と電撃的な騎馬突撃戦術によって、戦国最強の精鋭部隊へと昇華させました。赤色は戦場で最も目立つ色であり、敵の標的になりやすい危険を冒してでも「我こそが最強である」と誇示する心理的威圧の効果がありました。
その真価が天下に知れ渡ったのが、1572年の三方ヶ原の戦いです。武田信玄の上洛作戦において、徳川家康軍を迎え撃った山県隊は、圧倒的な機動力と突進力で徳川軍の陣列を瞬く間に粉砕。家康自身を命からがら浜松城へ敗走させる直接の要因を作りました。このとき徳川軍の将兵に植え付けられた「赤備えの恐怖」は、凄まじいトラウマとして記憶されます。
武田家滅亡後、この山県昌景の戦術と精鋭部隊の精神を継承したのが、徳川家康の重臣となった井伊直政でした。家康は武田の遺臣を井伊軍団に配属させ、山県隊の武勇にあやかって部隊を赤備えに仕立て上げました。これが「井伊の赤鬼」として恐れられる彦根藩井伊家の象徴となります。さらに後には真田信繁(幸村)が大坂の陣で赤備えを身に纏い、昌景が創始した真紅の軍装は「不退転の勇者」の証として後世へ語り継がれました。