Q1:源仲章は本当に北条義時の身代わりにされたのですか?
A1:『吾妻鏡』では義時が急な体調不良で仲章に太刀持ちを代わってもらったため身代わりになったと記されていますが、同時代の『愚管抄』では義時は最初から本殿へ上がらず中門に控えていたとされています。近年の歴史学では、北条氏が義時の生存を神仏の加護として正当化するために『吾妻鏡』で脚色した可能性が高いと考えられています。
Q2:公暁はなぜ源仲章を義時と間違えて討ち取ったのですか?
A2:実朝暗殺の実行犯である公暁の第一の標的は実朝でしたが、父・源頼家を失脚させた黒幕である北条義時も同時に討つ計画でした。暗夜の吹雪という悪条件に加え、実朝のすぐ後ろで儀礼の太刀を捧げていた人物を義時だと思い込んで凶刃に及んだとされています。
Q3:源仲章の死は承久の乱にどのような影響を与えましたか?
A3:仲章は後鳥羽上皇の腹心であり、幕府内で上皇の意向を代弁する極めて重要なパイプでした。仲章と実朝が同時に失われたことで朝廷と幕府のパイプは完全に断絶し、上皇は北条義時追討の院宣を発布して武力対決(承久の乱)へ踏み切る決定的な契機となりました。