高校卒業後、ボートレーサーの試験に不合格となった浜田雅功は、松本人志とともに吉本興業のタレント養成所(NSC)へと進む道を選ぶ。当時はまだ「お笑い芸人」という職業が現在ほど社会的地位を確立しておらず、若者が目指すにはあまりにも不安定な茨の道だった。
近所や親戚から「定職に就かずにお笑いなどやっていけるのか」と心配の声が上がる中、母親だけは息子の挑戦を静かに見守り続けた。無謀とも思える夢に対して頭ごなしに反対することなく、「自分が決めた道なら途中で投げ出すな」と背中を押したという。
NSC時代、若手芸人として下積み生活を送る浜田に、母は愚痴一つ言わず陰ながらエールを送り続けた。吉本興業の劇場で脚光を浴び始め、やがて東京進出を果たして全国的なトップスターへと駆け上がっていく息子の姿を、誰よりも誇らしく思っていたのは間違いなく母であった。