事故の引き金は、墜落の7年前、1978年に伊丹空港で起きた「しりもち事故」にまで遡る。機体後部を滑走路に接触させた123便は、製造元であるボーイング社のアフターサービスチームによる大規模な修復作業を受けた。問題はこの時に起きた。
機内の空気を一定の圧力に保つ「後部圧力隔壁」の部材を接合する際、本来であれば1枚の連続したスプライス・プレート(添え板)で補強すべき部分を、作業員が誤って2枚に切り分けて作業を行ったのだ。この杜撰な加工により、リベットにかかる荷重の分散が著しく阻害された。
結果として、該当部分の金属疲労強度は計画値のわずか「37%」にまで低下。飛行を重ねるごとに機内圧力が加わるたび、見えない亀裂が徐々に拡大していった。1985年8月12日の夕刻、2万4000フィートの上空で、ついにその限界を超えた隔壁が瞬間的に破壊されたのである。