ニューヨークでの密会報道からわずか5ヶ月後の1989年7月11日夕刻、衝撃的な事態が発生します。東京都港区六本木にある近藤真彦さんの自宅マンションで、中森明菜さんが左腕を深く切り、血まみれで倒れているところを発見されたのです。緊急搬送された病院で6時間におよぶ大手術を受け、一命を取り留めたものの、日本中が言葉を失いました。
世間の関心は一気に「松田聖子との密会報道が明菜を極限まで追い詰めたのではないか」という点に集中しました。歌番組でライバルとして競い合い、互いを認め合っていた二人の歌姫。信頼していた恋人と、最大のライバルによる裏切りという構図は、ワイドショーにとって格好のシナリオとなったのです。
しかし、当時の警察発表やその後の近藤さんの釈明、さらに近年の芸能関係者の証言録を総合すると、自死未遂の引き金は単一の嫉妬心だけではありませんでした。当時、中森さんは所属事務所「研音」からの独立トラブルや、家族との深刻な金銭摩擦を抱えており、精神的に孤立無援の状態にありました。そこに近藤さんとの将来に対する絶望や不信感が重なり、複合的な破滅衝動へと至ったというのが、客観的な取材データが示す真相です。