新島襄(幼名・七五三太=しめた)は、天保14年(1843年)、上野国安中藩(現在の群馬県安中市)の江戸藩邸で生まれました。幼少期から漢学や蘭学、洋式砲術、航海術を学ぶ中で、アメリカの合衆国憲法や聖書の一節に触れ、「人間は生まれながらにして自由であり、平等の権利を持つ」という思想に強烈な衝撃を受けます。
当時の日本は鎖国体制下にあり、海外渡航は厳罰(死罪)に処される時代でした。しかし、「世界を見て、真の文明と学問を日本に持ち帰らねばならない」という抑えがたい情熱から、元治元年(1864年)、21歳のときに函館からアメリカ船へと密航します。この決断が、のちに日本の近代教育史を塗り替える第一歩となりました。
約10年間に及ぶ米国留学で学問とプロテスタント信仰を修めた新島は、明治7年(1874年)に宣教師として帰国。翌1875年、京都の地にわずか教員2名・生徒8名で「同志社英学校」を開校しました。当時の明治政府が主導する国家主義的な官学(官立学校)とは一線を画し、「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」の3本柱を掲げ、個人の良心に基づく人間教育に生涯を捧げたのです。