キャンペーンガールの歴史を語る上で欠かせないのが、1975年にスタートした「クラリオンガール」です。初代のアグネス・ラムさんが巻き起こした爆発的なブームを皮切りに、水着姿のポスターが街中の飲食店やレジャー施設を席巻。企業広告とグラビアカルチャーが融合した独自のマーケティング手法が確立されました。
昭和後期から平成初期にかけて、繊維メーカーやビール各社はこぞって大規模なオーディションを開催。全国から数千通もの応募が殺到し、全国ネットのニュースやワイドショーで選考結果が大々的に報じられるなど、その熱気は社会現象そのものでした。
なぜここまで過熱したのかといえば、芸能事務所にとって「大手企業の年間プロモーション予算で全国区の知名度を獲得できる」という極めて強固な育成システムだったためです。ポスター露出、テレビCM、全国各地のイベント行脚を通じて、無名の新人が瞬く間にスターダムへと駆け上がる仕組みが完成していました。