名門小売チェーンの次男として生まれながら、なぜ岡田克也氏はビジネスの世界ではなく政治の道を選んだのでしょうか。その背景には、父・卓也氏の確固たる経営哲学と、本人の強い問題意識がありました。
卓也氏はかつて「企業経営に政治を巻き込んではならないし、政治に家業の利害を持ち込んではならない」という「政経分離」の原則を掲げていました。長男の元也氏が後継者としてグループ経営に専念する一方で、次男の克也氏は東京大学法学部へ進学。卒業後は通商産業省(現・経済産業省)に入省し、国家公務員としての道を歩み始めました。
官僚時代、石油やエネルギー政策、産業構造改革の現場に携わる中で、官僚主導の限界と政治改革の急務を痛感した岡田氏は、1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧三重1区から立候補し、初当選を果たします。当初は自民党の竹下派に所属していましたが、政治改革への志から小沢一郎氏らとともに離党。新生党、新進党を経て、民主党の結党に参画しました。
その後、民主党代表、外務大臣、副総理を歴任し、政権交代の中心人物として活躍。現在は立憲民主党の重鎮・常任顧問などとして党運営を支えています。「清廉潔白」「頑固なまでの原則主義」と評される同氏の政治姿勢は、官僚出身者特有の緻密さに加え、「巨大企業の御曹司」という生い立ちゆえに少しでも金銭的スキャンダルがあれば致命傷になりかねないという強い自制心が培ったものと言えます。