飛騨川バス転落事故は、その後の法曹界および行政管理の在り方にも極めて重大な影響を与えました。事故後、犠牲者の遺族らは「危険な状態を把握しながら通行規制を行わず、適切な防護設備を怠った」として、国(建設省)に対して国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟を提起しました。
裁判における最大の争点は、以下の2点でした。
- 不可抗力論の是非:観測史上例を見ない局地豪雨による自然災害であり、予見・回避は不可能だったのか。
- 道路管理の瑕疵(かし):落石や土砂崩れが予測される危険な地形において、防護網や監視体制、事前の通行止め基準が欠如していたことは道路の欠陥に当たるのか。
昭和48年(1973年)、名古屋地方裁判所は国の責任を一部認める判決を下しました。「異常気象下であっても、道路管理者は危険を予測し、適切な通行規制を行う義務があった」と判示されたことは、画期的な判断でした。この裁判を契機に、「自然災害による事故であっても、管理体制に過失があれば行政の責任が問われる」という原則が確立され、全国の道路インフラにおける安全基準が抜本的に見直されることとなりました。