五家宝の起源には諸説存在しますが、文献や各老舗の社史記録によると、江戸時代後期の文化・文政年間(1804〜1830年)に現在の埼玉県加須市(旧武蔵国埼玉郡加須宿)で考案された説が有力視されています。
当時、加須の菓子職人であった吉野屋半兵衛らが、日光街道や五料河岸を行き交う旅人向けに、五穀を用いた日持ちのする干菓子「五荷棒(ごかぼう)」を作ったのが始まりと伝えられています。その後、天保年間に熊谷宿(現在の埼玉県熊谷市)の菓子舗へ製法が伝わり、中山道を行き交う旅人や高崎・信州方面への往来客を通じて「熊谷銘菓」として全国へ名声を轟かせることになりました。
名前の由来についても、複数の興味深い伝承が残されています。
- 「五穀は家の宝」説:米、麦、大豆などの穀物は人々の生活を支える宝であることから、「五穀豊穣」と「一家繁栄」の願いを込めて「五家宝」の美字が当てられたという説。
- 「五加抱」転化説:漢方薬の生薬としても知られる五加(ウコギ)の成分を練り込んだ滋養菓子が原型であり、それが転訛したという説。
- 「五荷棒」由来説:初期に棒状の菓子を5荷(荷馬車の単位)売り歩いたことから名付けられたという実務的な起源説。
いずれの説においても共通しているのは、「保存食としての優れた実用性」と「人々の無病息災・家内安全を願う吉祥の心」が込められている点です。熊谷市では現在も市の代表的な特産品・伝統工芸的銘菓として手厚く保護・継承されています。