藁に五寸釘を打ち込む「丑の刻参り」の原型は、意外にも人を呪うための儀式ではなかった。そのルーツを辿ると、京都の奥座敷に鎮座する名刹・貴船神社へと行き着く。平安の昔、神仏の加護を求め、丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻に参拝する行為は、極めて敬虔な「心願成就」の祈りであった。
この神聖な参拝信仰が暗転した契機として語り継がれるのが、能の演目『鉄輪(かなわ)』でも名高い「宇治の橋姫」の伝説だ。夫の不貞に狂乱した貴族の女が、貴船神社に籠もり「生きながら鬼に変えてほしい」と祈願した物語である。神託に従い、顔に朱を塗り、頭に鉄輪(五徳)を載せて松明を灯した姿こそが、今日私たちが想起する呪詛者のステレオタイプとなった。
陰陽道が隆盛を極めた時代、稀代の陰陽師・安倍晴明が式神や「形代(かたしろ)」を用いて人の厄を祓った技術は、表裏一体の呪術として民間に流出した。民俗学の創始者である柳田國男は、信仰が本来の生命力を失って零落するとき、祈りはしばしば呪詛へと反転すると指摘している。神への純粋な祈念が、個人的な怨恨を晴らすための暗黒儀礼へとすり替わっていった歴史の暗部は、まさに人間の業そのものと言える。