中島敦は1909年(明治42年)5月5日、東京・四谷の漢学者一家に生まれました。祖父の撫山をはじめ、伯父たちや父・田人も著名な漢学者という厳格な環境で育ちます。幼少期に両親が離婚し、父の再婚や転勤に伴って各地を転々とするなど、家庭環境は決して平穏なものではありませんでした。この複雑な生い立ちは、後に彼の作品に通底する孤独感や人間不信、そして徹底した自己省察の原点となります。
第一高等学校を経て東京帝国大学文学部国文学科を卒業した中島敦は、1933年から横浜高等女学校(現・横浜学園)で国語と英語の教鞭を執ることになります。教え子たちからは「ダンディで博識な先生」として慕われる一方、当の本人は教師という日常に埋没していく恐怖と、自身の才能への疑念に苛まれていました。夜な夜な机に向かっては原稿を書き溜め、時に破り捨てるというストイックな創作の日々が約8年間続いたのです。