かつて山梨県・本栖湖のほとりに存在した本栖研修所。外界から完全に遮断され、軍隊さながらの規律が課されたその場所は、一般財団法人日本モーターボート競走会がレーサーの卵たちを鍛え上げる修羅の道場だった。松井繁はその門をくぐった第64期生である。早朝の点呼から始まる過酷な日課、教官の容赦ない怒号、氷のように冷たい水面。脱落者が相次ぐ過酷な環境下で、若き日の松井はすでに群を抜いた旋回スピードと操艇センスを示していた。
この期を語る上で外せないのが、同期の天才・服部幸男の存在だ。「水上のショパン」と称され、松井よりも早く最年少でSGを制覇した服部の疾走は、松井の闘争心に強烈な火をつけた。同期でありながら、互いに背中を預け合うような生ぬるい関係ではない。水面に出ればコンマ数秒の判断ミスが命取りになる極限状態のなか、二人は激しく火花を散らした。松井は後に、服部の存在があったからこそ己の甘えを完全に殺し、冷徹な勝負師へと変貌できたと吐露している。
操縦技術だけでは勝てない。エンジンの構造、ペラ(プロペラ)のわずか1ミリに満たない狂いをミリ単位で叩き出す金属加工の技術、水温と気圧を計算し尽くす観察眼。本栖の冷たい風に吹かれながら、若き松井は己の肉体と精神を「勝利のためだけの機械」へと研ぎ澄ませていった。