映画監督やキャスティングディレクターが池松壮亮を熱烈に支持し続ける背景には、映画表現における「サイズ感の黄金律」が存在します。
172cmという身長は、映像のフレーム(構図)において極めて柔軟性の高いサイズです。相手役が長身であっても小柄であっても、カメラアングルに無理な制約を生じさせません。また、日本の生活空間(アパートの部屋、居酒屋、街路樹のある歩道など)のスケール感に完璧に溶け込み、観客に「そこに実在する人間」としての生々しい説得力を与えることができます。
身体社会学や映像演技の観点から見ても、池松壮亮は自身の身体を「役柄の器」として徹底的に客観視しています。インタビューでも「自分の肉体や容姿をカッコよく見せることには一切興味がない。その人物がどう生きてきたかの呼吸を身体に宿らせたい」という趣旨の発言を度々残しており、エゴを排した身体コントロールこそが、観る者に強烈な印象を刻み込む源泉となっています。