なぜ初代ではない?坂上田村麻呂が最強の征夷大将軍と呼ばれた真相

なぜ初代ではない?坂上田村麻呂が最強の征夷大将軍と呼ばれた真相

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坂上田村麻呂の生涯を語る上で欠かせないのが、蝦夷の軍事指導者・阿弖流為(アテルイ)との関係です。アテルイは卓越したゲリラ戦法で数万の朝廷軍を翻弄し、かつて壊滅的打撃を与えた蝦夷側の不世出の英雄でした。

田村麻呂が胆沢の地に攻め入ると、アテルイと副将・盤具公母礼(モレ)はこれ以上の民の犠牲を避けるため、延暦21年(802年)春に約500名の仲間を引き連れて田村麻呂軍に降伏しました。戦場で激しく矛を交えながらも、田村麻呂はアテルイの類まれな武勇と指導力を深く認め、敬意を抱いていたと伝えられています。

田村麻呂はアテルイとモレの身柄を保護して平安京へ連れ帰り、朝廷に対して「彼らを故郷に帰し、蝦夷の統治を任せるべきだ」と必死の助命嘆願を行いました。アテルイの協力を得ることが東北の恒久平和につながると確信していたからです。

しかし、平安貴族たちの反応は冷酷でした。「野生の獣の心を持つ者は信用できない」「後顧の憂いを残すな」と強硬論を唱え、田村麻呂の懇願を一蹴。延暦21年(802年)8月、アテルイとモレは河内国(現在の大阪府枚方市)にて無念の処刑を遂げました。敵でありながら互いの器量を認め合った二人の結末は、平安初期屈指の歴史的悲話として今なお語り継がれています。

鈴木 陽菜
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鈴木 陽菜

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