哀川翔の言葉を受け、翌日から付き人となった中野英雄は、哀川翔の自宅に居候しながら過酷な下積み生活をスタートさせます。当時の哀川翔は「劇男一世風靡」から派生した音楽ユニット一世風靡セピアのリーダー格として社会現象を巻き起こしていた超多忙な時期。中野英雄は運転手、衣装の管理、身の回りの世話を一手に引き受けながら、哀川翔の背中を追いました。
この時期に叩き込まれたのが、哀川翔独自の厳格な「男の美学」です。現場への30分前集合は絶対、先輩やスタッフへの挨拶、言葉遣い、嘘をつかないことなど、社会人としての礼儀作法を中野英雄は徹底的に叩き込まれました。失敗をすれば容赦ない鉄拳が飛ぶこともありましたが、哀川翔は必ずその後で中野英雄を飯屋へ連れて行き、腹一杯の食事を奢りながら理由を噛んで含めるように諭したといいます。中野英雄は後にメディアで「翔さんに出会っていなければ、自分は刑務所に入るか野垂れ死んでいた。命の恩人です」と涙ながらに述懐しています。
その後、中野英雄は1992年の大ヒットドラマ『愛という名のもとに』の「チョロ」役で国民的ブレイクを果たし、哀川翔もまた映画界・Vシネマ界の頂点へと駆け上がります。二人は師弟関係を保ちながら、数々の映画や任侠Vシネマで共演作品を重ね、芸能界屈指のホットラインを確立していきました。