野村氏の監督キャリアを振り返ると、彼が率いたチームはことごとく弱小からの脱却を遂げています。他球団で戦力外通告を受けたり、燻っていた選手を次々と復活させた実績は野村再生工場の真相として球界に語り継がれています。
1990年代のヤクルトスワローズ時代には、ミーティングでノートを取らせる「ID野球」を徹底注入し、古田敦也氏を球界屈指の名捕手へと育て上げ、球団を4度のリーグ優勝、3度の日本一へと導きました。続くノムさん阪神時代のぼやきにおいては、「暗黒時代」と呼ばれたチームの長年染み付いた敗北主義の払拭に苦心しながらも、赤星憲広選手ら後の優勝メンバーとなる若手を抜擢し、新庄剛志氏の類まれな身体能力を投手兼任プランなどで刺激するなど、2003年の歓喜につながる土台を築き上げました。
そして晩年のハイライトとなったのが、2006年から2009年までの4年間にわたる東北楽天ゴールデンイーグルスでの指揮です。ノムさん楽天監督時代エピソードとして象徴的なのは、ルーキー時代の田中将大投手に対する接し方でした。ピンチを迎えながらも打線や味方の好守に助けられて白星を手にする若きエースに対し、野村監督は報道陣へ向けて「マー君、神の子、不思議な子」とボヤき続けました。このフレーズは、慢心を戒め、調子に左右されない真の大投手に育て上げるための極めて巧みな心理的コントロールだったと、関係者の証言でも裏付けられています。さらに他球団を自由契約になっていた山﨑武司氏を主砲として再生させ、本塁打王と打点王の二冠に導いた采配は、選手個々の「生かせる強み」を見極める観察眼の賜物でした。