坂東三津五郎さんは、歌舞伎役者としての評価にとどまらず、日本舞踊坂東流の家元としても比類なき才能を発揮していました。その足さばき、指先の繊細な動き、身体の軸の美しさは「舞踊の教科書」と称されるほど完璧なものでした。
また、芸能界屈指の「城好き」としても知られ、全国の名城を巡るテレビ番組のナビゲーターや著書の執筆など、文化人としても幅広い層から親しまれました。歴史や建築に対する深い造詣は、役作りのリアリティや舞台空間の捉え方にも色濃く反映されていました。
病床にあってもその知性と芸への執念は衰えることがありませんでした。意識が混濁する最期まで台本を手放さず、指先で踊りの手振りを繰り返していたと伝えられています。遺言とも言える最期のメッセージは、「歌舞伎の灯を絶やすな」「巳之助を頼む」という簡潔ながらも重みのある言葉でした。芸道に人生のすべてを捧げた名優の生き様は、今も演劇界の語り草となっています。