歴史の教科書では大きく扱われる機会が少ないものの、日本史における「最後の女性天皇」として君臨したのが、江戸時代中期の後桜町(ごさくらまち)天皇です。在位期間は宝暦12年(1762年)から明和7年(1770年)までの約8年間。徳川第10代将軍・徳川家治の時代にあたります。
彼女の本名は智子(としこ)内親王。第115代・桜町天皇の第二皇女として誕生しました。宮中での信望は非常に厚く、幼少期から和歌や古典、漢籍に秀でた聡明な女性として知られていました。江戸時代における女性天皇の即位は、第109代・明正(めいしょう)天皇以来、実に119年ぶりの出来事でした。
後桜町天皇が即位した最大の理由は、「幼い後継者が成長するまでの緊急避難的な中継ぎ」でした。実弟であった第116代・桃園天皇がわずか22歳の若さで急逝。遺された皇子である英仁親王(後の後桃園天皇)は、当時まだわずか5歳という幼少でした。皇位の空白や朝廷内の権力争いを防ぎ、皇統を安定して次代へ引き渡すため、周囲の強い要請を受けて智子内親王が即位を決断したのです。
退位後も、彼女の影響力は衰えませんでした。後桃園天皇が22歳で早世した際にも、傍系の閑院宮家から兼仁親王(光格天皇)を迎えて皇統の断絶を救うなど、院政期さながらの政治的調整役を務めました。公家や幕府からも深く尊敬され、幕末へと続く皇室の土台を盤石にした立役者こそが後桜町天皇でした。