宇多田照實氏の音楽プロデューサーとしての真骨頂は、間違いなく宇多田ヒカルの育成とプロデュース戦略にあります。1990年代初頭、照實氏・藤圭子さん・幼少期のヒカルさんの3人でファミリーユニット「U3」を結成し、アメリカで自主制作アルバムをリリースしました。
ヒカルさんが15歳で日本デビューを飾るにあたり、照實氏は既存の日本の芸能界の慣習に囚われない画期的な戦略を打ち出します。
大手芸能事務所に所属させず、家族で設立した有限会社U3 MUSIC(現・株式会社)による直轄マネジメントを貫き、楽曲制作の自由度と権利関係を完全に手元に残しました。さらに、過度なテレビ露出を抑えてラジオや音源そのもののクオリティで勝負させるブランディングは、1999年のデビューアルバム『First Love』の日本記録となる765万枚超えという歴史的快挙へ結実します。