日本における天然痘の歴史は古く、記録に残る最初の大流行は奈良時代(735〜737年)の「天平の疫病大流行」にまで遡ります。当時の政権を牛耳っていた藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が次々と病死し、朝廷機能が麻痺。聖武天皇が社会不安を鎮めるために東大寺の大仏建立を決意した背景には、この天然痘の猛威に対する国家的な祈りがありました。
その後も江戸時代に至るまで、天然痘は「疱瘡(ほうそう)」や「痘瘡(とうそう)」と呼ばれ、数年から十数年周期で定期的に大流行を繰り返しました。子どもが無事に育つための最大の難関とされ、「見目定め(顔立ちが決まる病)」「命定め」と恐れられていたのです。
この絶望的な状況に風穴を開けたのが、幕末の蘭学者・医師である緒方洪庵でした。洪庵は1849年(嘉永2年)、オランダ商館長経由で長崎にもたらされた「牛痘苗」を入手し、大坂に「除痘館(種痘所)」を開設。安全なワクチン接種を普及させるため、私財を投じて奔走しました。
当時、「牛の膿を植え付けると牛になる」といった迷信やデマが市井に渦巻くなか、洪庵は徹底した啓発活動と組織的な接種ネットワークを構築。この除痘館での活動が、近代日本の公衆衛生と予防医学の礎となり、後の適塾から多くの偉人が育つ土台となりました。