いかりやさんは法的な遺言状のほかに、グループとしての精神的な指針をメンバーに遺していました。それは「ドリフターズという看板を絶対に汚すな」「常に笑いに厳しくあれ」という、妥協なきエンターテイナーとしての姿勢です。
志村けんさんは生前、いかりやさんについて「笑いに関しては一切の妥協を許さない人だった。あの厳しさがあったからこそ、今の自分がある」と語り、自身の冠番組やコント作りの現場にいかりやイズムを注入し続けました。2026年に志村さんが、2026年に仲本工事さんが惜しまれつつ旅立った際も、残された高木ブーさんは「長さんが待っているところで、またみんなで集まっているはず」と語り、グループの絆が永遠であることを示しました。
いかりや長介さんが命を削って作り上げたコントの手法、間(ま)の取り方、そして観客を第一に考えるプロ意識は、ドリフターズの枠を超えて現代の日本のお笑い界・エンタメ界の血肉となり、確実に受け継がれています。