1953年、テレビ本格放送の開始に伴い誕生した「NHK専属女優第1号」。その華々しい肩書とは裏腹に、黒柳徹子が踏み出した一歩は険しいものだった。当時の日本の演技指導は、提示された型に演者を嵌め込む手法が主流だった。しかし、彼女の溢れ出る情熱と独自のテンポは、その型にどうしても収まらなかった。
「通行人役をやれば目立ちすぎると怒られ、群読では一人だけリズムがズレると注意された」。当時の秘蔵記録や回想録には、新人時代の彼女が味わった孤独と焦りが生々しく記されている。NHKの廊下で一人涙を流した夜もあった。型にはまることを求められる時代にあって、個性が強すぎることが最大の弱点だと告げられた瞬間だった。
だが、ブレイクのきっかけは思わぬところから訪れた。自身の個性を押し殺して周囲に合わせるのではなく、「そのままの自分」を活かせる場所を見出したことだ。型破りな新人を排斥するのではなく、その歪みの中にこそ宝があると見抜いた大人の存在が、彼女の運命を180度変えることになる。