犯行当時、加害者全員が16〜18歳の未成年だったことから、裁判では少年法の壁が大きく立ちはだかりました。検察側は主犯格Aに対して無期懲役を求刑しましたが、1990年の東京地裁第一審判決、および1991年の東京高裁控訴審判決において下されたのは以下の量刑でした。
主犯格Aには懲役20年(当時の有期懲役刑の上限)、準主犯格Bには懲役5年以上10年以下の不定期刑、共犯のCには懲役5年以上9年以下の不定期刑、共犯のDには懲役5年以上7年以下の不定期刑がそれぞれ確定しました。
人の命を弄び、長期間にわたって激しい苦痛を与え続けた凶悪犯罪に対し、「量刑があまりにも軽すぎる」「少年法は加害者を守るための法律なのか」と世論は激しい怒りと不信感に包まれました。この国民的な議論が原動力となり、後の2000年少年法改正(刑事処分の対象年齢を16歳以上から14歳以上へ引下げ、有期刑上限の引き上げなど)をはじめとする法改正議論の大きな契機となりました。