組織が補給を軽視したとき、現場はどのような地獄を見るのか。その典型例として日本史に刻まれているのが、1944年に旧日本陸軍がビルマ(現ミャンマー)からインド北東部を目指したインパール作戦の兵站軽視です。
当時の第15軍司令官であった牟田口廉也中将が主導したこの作戦は、峻険なアラカン山脈と大河を越えて約9万人の将兵を進軍させるという無謀な計画でした。乾季の短期決戦を前提とし、自動車が通行できない山岳地帯を行軍するため、日本軍は牛や羊に物資を運ばせて途中で食糧とする「ジンギスカン作戦」を考案。しかし、砲撃の轟音に驚いた牛や羊は次々と逃走または滑落し、前線部隊は作戦開始からわずか数週間で食糧と弾薬の補給を完全に断たれました。
当時の従軍記録や生存者の手記には、凄惨を極めた現場の真実が記されています。雨季の豪雨が始まると道は泥濘化し、傷病兵を後送する手段すら消滅。前線からは「敵弾による戦死者よりも、飢餓とマラリア・赤痢による病死者が大半を占めた」「撤退路の沿道には白骨死体が累々と横たわり、『白骨街道』と呼ばれた」という告白が残されています。作戦に参加した約9万人中、死傷者は約5万人超(うち戦病死・餓死が3万人以上)に達し、日本陸軍史上最悪の敗戦となりました。
インパール作戦に限らず、兵站無視の失敗事例には明確な共通項があります。
- 精神論による物理的限界の否認:「大和魂があれば補給の不足は克服できる」「敵から物資を奪えばよい(現地調達)」という非現実的な前提。
- 都合の良い仮定に基づくスケジュール:敵の反撃や天候悪化を計算に入れず、すべてが予定通り進む前提で作戦を強行する。
- 兵站線確保の重要性への無理解:最前線の華々しい突撃ばかりを尊び、後方の輸送路防衛や物資集積に十分な人員と火力を割かない姿勢。
1812年にナポレオンがロシア遠征で焦土作戦の前に補給を失い、60万の兵力を数十万規模で失った悲劇も、太平洋戦争初期のガダルカナル島で補給が届かず「餓島」と化した惨状も、根底にある兵站崩壊の理由は完全に一致しています。補給の現実から目を背けた指導者は、必ず現場の無残な犠牲という形で代償を支払うことになります。