ふたりの出会いは1992年、アミアンにあるカトリック系の名門私立高校「ラ・プロヴィダンス」でした。当時40歳手前だったブリジット夫人が顧問を務めていた演劇部に、わずか15歳の高校生だったエマニュエル・マクロンが入部してきたことがすべての始まりです。当時から並外れた知性と弁舌の才能を見せていたマクロン少年は、同級生ではなく知性で対等に渡り合える国語教師のブリジット夫人に急速に心酔していきました。
エドゥアルド・デ・フィリッポの戯曲を共同で脚色・リライトする作業を通じて、ふたりは毎週金曜日に顔を合わせ、言葉と思想を交わす時間を共有します。当時の手記やドキュメンタリー番組の取材に対し、ブリジット夫人は「彼の類まれな知性に完全に圧倒された。普通の生徒と教師の関係を超えた精神的な引力を感じていた」と述懐しています。しかし、当時彼女には夫と3人の子供がおり、長男はマクロンと同世代でした。
やがてふたりの尋常ならざる親密さは保守的な地方都市の知る所となり、マクロンの両親は激怒。息子を引き離すため、高校最後の学年をパリの名門校「リセ・アンリ4世校」へ転校させる措置を取ります。パリへと発つ直前、17歳のマクロンは彼女に対し、のちに伝説となる言葉を言い残しました。
「あなたが何をしようと、私は戻ってきて、いつかあなたと結婚する」
遠距離となってもマクロンの情熱が冷めることはなく、何時間にも及ぶ長距離電話や手紙を通じて情熱的な求愛が続けられました。ブリジット夫人は自らの家庭を壊す恐怖、世間体、そして何より我が子への影響に深く苦悩し、葛藤の日々を送ります。しかし、最終的に彼女は安定したブルジョワ生活を捨てる決断を下しました。前夫アンドレ=ルイ・オジエールとの長い別居生活の末、2006年に正式な離婚が成立。翌2007年、30歳を目前にしたマクロンと54歳のブリジット夫人は、北仏のル・トゥケで正式に結婚の誓いを交わしました。