1960年代の日本はなぜ激変したのか?熱狂と光影の真相を徹底検証

1960年代の日本はなぜ激変したのか?熱狂と光影の真相を徹底検証

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1960年代を語る上で避けて通れない最大の謎は、「なぜわずか10年の間に、戦後日本のすべてが塗り替わるほどの爆発的成長と変容が実現したのか」という点です。その原動力は、国家の政策的誘導、技術革新、そして何よりも急激な人口動態のシフトが奇跡的な噛み合わせを見せたことにあります。

内閣府の国民経済計算資料を遡ると、1960年に池田勇人内閣が打ち出した「国民所得倍増計画」は、当初10年での国民総生産倍増を掲げていたものの、実際にはわずか7年弱で目標を前倒し達成しました。1965年から1970年にかけて続いた「いざなぎ景気」(57カ月間)においては、実質経済成長率が年平均で11%を超え、1968年には西ドイツを抜いて資本主義国でアメリカに次ぐGNP世界第2位へ躍り出たのです。これが「1960年代 高度経済成長 理由」の根幹にあります。

この驚異的な成長を現場で支えたのが、地方から大都市圏へと大量に流入した若年労働者、いわゆる「金の卵」たちでした。通商産業省(現・経済産業省)の当時の工業統計を分析すると、中学・高校を卒業した若者たちが集団就職列車で上京し、京浜や阪神の工業地帯、町工場の生産ラインを支えました。彼らの旺盛な勤労意欲と、それに伴う都市部での核家族化が、家電製品や加工食品、住宅に対する巨大な内需を生み出す永久機関となったのです。

さらに、1964年の東京オリンピック開催を絶対的デッドラインとした国家規模のインフラ整備が、列島全体の近代化スピードを一気に引き上げました。それまでの日本は、未舗装の道路と立ち並ぶ長屋、木造家屋が主たる風景でしたが、わずか数年のうちに首都高速道路が張り巡らされ、東海道新幹線が時速210kmで東京と大阪を結びました。国民全体が「昨日より今日、今日より明日が豊かになる」という強烈な前進志向を共有したことこそが、急激な社会変革のエネルギー源だったと言えます。

橋本 菜々子
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橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。