2004年3月26日、通算4,372回目の放送をもって幕を閉じた『ニュースステーション』。世間を驚かせたニュースステーション 久米宏 降板理由については、当時から様々な憶測が飛び交いました。一部の週刊誌では体調不良による「病気説」や、政権からの政治的圧力による更迭劇などがセンセーショナルに書き立てられたものの、事実はより多層的で構造的な要因が絡み合っていました。
久米氏本人が自著『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』や後年のインタビューで明かした最大の理由は、「番組を始めた当初の目標を達成し尽くした」という精神的な充足と、極限の緊張感を毎夜維持することへの肉体的限界でした。開始当初、久米氏が掲げたコンセプトは「中学生にも理解できるニュース」。専門用語を平易な言葉に置き換え、模型やCGを駆使してニュースを身近にする試みは、開始数年で完全に日本のスタンダードへと定着しました。久米氏自身、「自分たちが蒔いた種が花開き、やがて日常の風景になった時、自分がキャスター席に座り続ける意義を見失いかけた」と吐露しています。
さらに見逃せないのが、久米宏 テレビ朝日 確執の真相として長年語られてきた、局側とのパワーバランスの変化です。同番組はテレビ朝日と、久米氏が所属する制作会社「オフィス・トゥー・ワン」の共同制作体制をとっていました。しかし、2003年秋のテレビ朝日新社屋(六本木ヒルズ)移転を機に、局側は制作の主導権を自社報道局へ一本化したい思惑を強めます。現場の自由な演出を重んじる久米サイドと、組織管理を強めたいテレビ朝日経営陣との間に生じた温度差は、契約更新の交渉過程で修復不可能な溝となっていきました。つまり、表現者としての表現の限界と、テレビ局の近代化・組織化という時代の波が合流した地点に、あの降板劇が存在したのです。