西洋彫刻のレプリカが、なぜ日本特有の美大受験文化において「絶対的な登竜門」となったのか。明治期に始まった西洋美術の導入と、大正・昭和期における東京藝術大学など最高峰の教育機関での採用が大きな契機となった。しかし、全国にその文化を普及させた最大の功労者は、精巧な複製技術を確立したメーカーだ。
長年にわたり職人の手で高品質な像を送り出してきた日本石膏像製造株式会社の技術力が、全国の美術室や予備校へ同一品質のモチーフを行き渡らせた。制度としての美大受験と、それを支える国内の美術教育産業。この二つの輪がかみ合ったことで、マルスは日本中で「デッサンの指標」としての確固たる地位を築き上げるに至った。